「懸命の呼びかけ」と「ウチらが」
当日、帰宅難民となって避難所で過ごしてから、仕事などで大阪や名古屋、そして、東京にいた。
どこでも、若者が自分たちで募金箱をつくり募金の懸命の呼びかけをしていた。
寒さの中、声をからして、一途に。
若者だけではない、いろいろな人も懸命に呼びかけていた。
さて、被災地では言葉を失うことが起きている。
これは、地震と津波で何も無くなったまちでのことである。
老婆が避難している高台からまちのあったところをみて、泣きじゃくっていた。
「まちがなくなった」
「家も」
「家族も」
「何もかも無うなった」
誰も声をかけられなかった。
ただひとり、孫のような年頃の子が、
老婆の背中をさすりながら
「ウチらが復活させるから」
「また、まちをつくるから」
と何度も話しかけていたという。
今は、「懸命の呼びかけ」と「ウチらがまちをつくる」という言葉が希望だ。
追記 被災地陸前高田に医療スタッフとしていった人のブログ
いつかみんなの努力と流した涙が報われるときが必ず来ますように。