ARIGATO
仙台空港旅客便再開
4月13日、仙台空港で旅客便の運航を再開した。運営する仙台空港ビルは9月までの完全復旧を目指しているとのこと。
震災当日に仙台空港は壊滅した。
3月18日、国土交通省東京航空局仙台空港事務所は東日本大震災で津波被害にあった仙台空港内部を公開し、「復旧は早くても秋以降、被害状況によってはさらにずれ込む」との見解を示した。
同日には3000メートルのB滑走路のうち1500メートルを緊急用として確保された。(後述)
16日に在日米軍が未整地運用可能なC―130輸送機2機で仙台空港にリスクのある着陸をし、地上での作業に着手し、4ヶ所のヘリポートを設置した。
17日、彼らは作業を続け、緊急用滑走路や空港機能の一部を復旧させ、航空管制を米空軍が行い、輸送機などの運航が再開した。
この間、米軍が24時間態勢で空港運用と復旧を行ないながら物資を配送し、空港側は懸命に空港の整備と修理を行なった。
4月1日、米空軍が行なっていた管制を仙台空港の省の管制官達に引き継いだ。
4月15日、この支援活動についての米軍の電話記者会見が行われた。
「滑走路に向かって最終アプローチをかけた時だった。滑走路27番に向けて800メートルほど離れた砂浜の上空を飛行していた時、ふと下を見るとそこに日本語の"ARIGATO"の文字があるのに気がついた。津波でなぎ倒された松の木を20~30本使ってかたどったらしい。
我々の支援など日本の人々の労力に比べたら、何でもない。それどころか、我々が去った後も彼らの戦いは続くのだ。これまでも彼らは、自らが生き残るための戦いと行方不明者の捜索を行なう中、復興作業に懸命に取り組んできた。
仙台空港においてオペレーション・トモダチに携わった米軍は、すべて本州と沖縄の駐留部隊である。支援活動に派遣された全米軍人に代わって言いたい事は、我々を迎え入れてくれた友人であり隣人の日本の人々を支援できたのは我々にとって名誉だということだ。
(中略)
聖アウグスティヌス曰く、「我々は賞賛には値しません。我々は我々の義務をなすのです」
日本の皆さん、ARIGATOにはおよびません。」(*)
(*)統合支援部隊 統合特殊作戦隊司令官 ロバート P. トス 米空軍大佐
COMMENTARY - "Thank You" is not necessary; U.S. forces honored to help reopen Sendai
Factsheets : COMMENTARY - "Thank You" is not necessary; U.S. forces honored to helpreopen Sendai
付記
在日米空軍が航空管制を行ったのは、「前線航空管制」が可能だったからだと推測している。
戦時、災害時には、決められた飛行プランに基づく通常の航空管制と異なり、臨機応変な「前線航空管制」が必要とされる。
災害時の非常時の航空管制の必要性は唱えられているが、自衛隊以外では要員の本格的な養成を行っていないと思われる。(省の航空管制官も)