第97回 RQ市民災害救援センターのこれから
柔軟で多様な活動で被災者の求めに細やかに対処
そもそもRQ市民災害救援センターというのは、私が言い出しっぺではあるのですが、こういう組織がもとからあったわけではありません。東日本大震災のために生まれた活動です。最初は組織ということにためらいがありました。組織というと、何か三角形のヒエラルキーがあって、上から指示が下りてくる、そんな仕組みを想像しますが、私たちがやっているのはそういうものではないのです。
アメーバのような団体と言われてきました。こんな活動、こんな動きをする組織は見たこともないと言われます。アメーバはどこを切っても再生します。ですから、極めて優秀なリーダーがいたとしても、その人が帰ってしまったら活動がストップする、というようなことはないのです。毎週担当者が交代しながら、しかし堂々巡りをするのではなく発展、進化してきたのがRQです。一つのことを共有しているアメーバです。皆が同じ方向を目指しているので、誰が交代しようがどんどん進化することができます。そんな形がこの東日本大震災に際し、私たちが活動のベースとして作ってきたRQというものです。
RQは一度決めたことにとらわれて、一つの方針に固執して動くことはまったくない、一つの方針なんて、もしかしたらないのかもしれない。柔軟で多様な活動をしています。震災ボランティアは皆さんヘルメットを被って防塵マスクをしてゴーグルを付けてというイメージで紹介されますが、RQは決してそれだけではないのです。まったく普通の格好で、自分のスタイルでそれなりの役割を作ることができた。つまり私たちはこの震災の地で、人間の社会としての緊急支援のあり方を何とか作ろうと考えてきたのです。
不公平を恐れずできることから始める
多様な動きをすることによって、被災者や被災地が本来求めているものにできる限り細やかに手を伸ばす、そういう形を取ってきました。こうすれば良い、ああすれば良いと口で言うだけでなく、必ずその日のうちに議題に上げます。あるいは自分ができなくて申し送った人がいたとすると、翌日にはすぐ行動に移します。熟慮してから動くのではなく、まず動き、走りながら考える、そんなスタイルに変わってきました。
私たちは公平なことはやろうとしなかったのです。不公平になるから近づけないというのではなく、それに十分配慮してやってきたのです。公平にやろうとする行政と私たちの組織の大きな違いは、私たちが目の前にあることにすぐ手をつけて始めることです。そのことに限ればやはり不公平が生じるかもしれませんが、被災地全体に行き渡らせる力を持っているわけではありませんから、できるところから始めて、そこからどんどん広げていくのです。
私はRQのような活動が、本当は人間の社会にとって、とても大事なのではないかと思います。みんなが自分の判断で動くことができる、無秩序ではなく、お互いの信頼とビジョンを持って秩序を作り合っている関係です。
物から人へ 人から地域へ
3月11日に東日本大震災が起きました。私たちは12日に救援組織を立ち上げて、 13日には被災地で動き始めました。仙台、山形県の天童、宮城県の登米と転々と場所を変えて活動しました。目まぐるしい情報収集と、腰を落ち着けて活動できる場所を探し、3月20日から登米で活動しています。今回の震災は阪神や中越やこれまでわれわれが体験した災害と違って、広域的で甚大な災害であったために、まず災害支援を継続して行う体制をどう構築したら良いのか、物資の支援をしながら、支援体制を一つひとつ作ってきました。
4月の初め頃には「物から人へ」という合言葉を使い始めました。第一陣の物資がほぼ行きわたり、「人の心を届ける」「笑顔を届ける」というような言葉がここで使われました。
「物資」と「人の心」を届けるという両面作戦はそれから約2ヵ月以上続けてきたのですが、6月の中頃から「人から地域に」という合言葉に移行してきたのです。
被災者はまず、自分自身が助かった、自分の家族が何とか落ち着ける場所を得た、となると次はコミュニティ、自分の暮らしていた地域の構築なのです。人間は自分だけで生きていけないですから、孤立していてはできないことがいっぱいあります。
何百年も受け継がれてきた文化とか歴史とか、それから三陸沿岸の人びとが持つ強烈なアイデンティティがバラバラになったら地域は危機に陥ってしまうのです。それを僕は避けたいのです。被災者の皆さんが口をそろえて言う「地域を作らなければいけない」という方向に力を注いでいこうと考えています。
地域再生も担う自然学校を拠点に「共創」の復興支援構想
私たちは7月1日から、第2段階に入ります。東日本大震災はこれまでの災害でやってきたような緊急支援だけではとても終わらないと判断しました。私たちはボランティア団体から姿を変え、地域と付き合って復興に力を尽くしていくしかないと思ったのです。
実は3月2日に自然学校の全国調査の発表会が東京で開かれました。全国に3,700校の自然学校があり、新しい姿を見せていることがわかりました。これまでは自然保護、環境教育、青少年教育が自然学校のテーマだったのですが、新しいテーマは地域再生というキーワードなのです。
私たちはそれこそ、地域と向き合う自然学校を具体化するような活動をしていきたい。そんな話をした直後に震災が起きました。救援活動をやっている傍ら、頭の中では自然学校が災害支援にかなり使えるのではないかと考えたのです。自然学校が長期的に地域の復興を支える拠点になる。本当に長期的に地域に腰を据える、根を下ろしてやっていくことができるかもしれないと考えてきました。
「自然学校」の共創を核にした復興支援構想を作りました(図1)。私たちが勝手に自然学校を作って勝手に動くのではなく、地域住民、被災者、行政、学校の先生、いろいろなNGOやNPOの皆さん、つまり今、地域社会に関わっている、あるいは復興に関わっている、できる限りたくさんの人が同じ方向を向けるような一つのアクションとしての自然学校を作りたい。それが次世代自然学校と呼んでいるものです。
図1:自然学校とは
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(作成=ポンプワークショップ)
災害に強い自然学校の特質を生かす
自然学校は、子供たちをキャンプに連れて行きました、自然の中で楽しく過ごしましたというようなイメージが強かったと思いますが、これからは災害に強い自然学校の特質を生かそうと思います。野外生活の技術がある、コミュニケーション力が高い、機動力のあるチームで動く、段取りよくプログラムを作れる、そして全国にネットワークがある(図2)。
図2:災害に強い自然学校の特質
(作成=ポンプワークショップ)
こんな自然学校の特徴を生かして、RQ市民災害救援センターの東北の拠点、ボランティアセンターになっている拠点がいずれ自然学校になっていく。そこで活動しているボランティアの人たち、あるいは地元の住民の皆さん、被災した若者たち、そういう人たちが一緒になって働く場ができるといいなと考えているのです(図3)。
図3:RQのボランティア拠点を次世代「自然学校」へ
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(作成=ポンプワークショップ)
仮設住宅に入ったものの、先が見えない人、情報が入らず、顔と顔を合わせる機会が減ってしまった人たちに、日刊新聞を発行しながら、今、地域はこんなふうに動こうとしている、皆さんにこんな役割がある、ぜひここで一緒にやりましょうと呼び掛けもしていけるかもしれない、そのような場をつくることを考えているのです。
RQの最大の特徴かもしれないのですが、ボランティアセンターにやってくる人たちは2度、3度と繰り返し来るのです。すごいリピーター率です。リピーター率が高いというのは、ここの活動が、ボランティアに来た人たちにとって手ごたえのある活動になっているということです。それは彼らの勝手な思い込みではなく、被災された人びとと向き合って言葉を交わしますから、その人たちの評価を耳にしているわけです。そしてRQに再び来ることは自分たちの役割として、今できることがあると思ってくれているのです。
自然学校を雇用の場として地域産業を興す
登米市の市長、市議会議長と話をしたことがあります。全国からボランティアの人たちが来てくれて大変嬉しいけれども、活動のベースにしているこの登米市についてどれくらい理解してくれているかわからない。もし可能なら登米のファンになってもらえないだろうかと、そんなことを話されていました。それはまさに私たちの気持ちとまったく同じなのです。
私たちが活動している東北の地は、ものすごく美しい自然に裏付けられている場であると、この3ヵ月、寝起きしてきた中で実感してきました。その自然の移ろいの美しさ、そこに住んでいる人たちの気持ちの純粋な熱さ、それをすごく感じてきたのです。
東北は実は祭りで生きているといわれている土地柄です。普段なかなか外に向かってものを言わない人たちだけれど、祭りの時には燃える。歌津もあの界隈で塩釜に次ぐ祭りの本場だったそうです。見事な神輿があり、じいちゃんから父親、母親そしてその息子たち、その孫たちが代々役割を継いで参加するというのを誇りにしていた土地だと聞きました。そういう祭りが本当に復興できるまで私たちは何とかしていきたいと思っています。
被災者から生活、歴史、文化について聞き書き
私たちは4月の下旬から、チームを作って聞き書きの活動を始めました。失われた地域の生活、歴史、文化、祭り、すべてを記録していきます。こうした記録はこれから地域を作っていく上でとても役に立つと思います。そんな活動をしながら仮設住宅に入った一人ひとりの被災者の様子を見ていきたいと思っています。
こうしたことを可能にするためには、私たちがそこの土地を本当に好きになって、そこの土地と自分自身の生き方とを重ね合わせることによって何とかできていくのではないかという気がします。
RQの各拠点でさまざまなボランティアの人たちを受け入れながら、雇用の場を少しずつ作り上げていきたい。そこが自然学校と呼ばれ、企業や新しい事業を呼び込むような企画も行い、一つの地域産業の生まれる場(図4)にしていきたいと考えています。
図4:地元にとっての次世代「自然学校」
(作成=ポンプワークショップ)
一般のボランティア団体とずいぶんイメージが違うなと思う方もいるでしょう。でもこれはボランティア活動がベースにあって初めて言えることなのです。われわれがボランティア活動をやっていなければいけない訳です。私たちはできれば年内まではボランティア団体として頑張っていこうと決めています。冬は厳しい場所です。越冬隊でもと思っています。落伍すると凍ってしまうかも知れません。でも1周年の来年3月11日には、できれば自然学校を各地に立ち上げる宣言が出せたらとても嬉しいなと思っています。
暮らしている人びと一人ひとりが前向きで、相手のことを思いながら地域を作っていく。その一つのモデルを、石巻から気仙沼に展開しているRQの拠点で実現したいと考えています。
今回の津波は、おそらくいろいろな方向を向いていた人びとの気持ちを一つの方向に向かわせてくれて、そこにRQが生まれたのだと思います。今回のことを一つのエピソードとして終わらせないで、日本の社会の近未来の姿として、新しい秩序が生まれたらいいなと思います。
(2011年6月30日東京都内にて)
http://eco.goo.ne.jp/business/csr/global/clm97.html