特別分科会
子ども未来人サミット
―アクションプラン―
こども環境学会2012年仙台大会
21日、 特別分科会「子ども未来人サミット ―アクションプラン―」が開催された。
「3.11東日本大震災後、東北各地の避難所など困難な状況の中で、避難所等の配ぜんの手伝いや幼い子の遊び相手を務めるなど前向きに活動する中学生・高校生の活躍が話題となりました。
とくに宮城県内では、昭和40年代に活動を開始した「子ども会のお兄さん・お姉さん」として教育委員会の支援を受け地域活動を行う中高校生のボランティア組織“ジュニアリーダー”のメンバーが、中心的な役割を果たしました。
宮城県内のジュニアリーダーは、昭和40年代に、宮城県中央児童館の指導により県内各地に組織され、現在は仙台市だけでも300名以上の中高生が登録しており、その活動は全国的にも高く評価されてきました。
彼らは、震災後も地域のこどもたちと一緒にさまざまな活動を行ってきました。そのなかでも、昨年9月には、せんだいメディアテークに岩手県・宮城県・福島 県の若者たちが集まり、被災直後から半年間の状況とその間に取り組んだ活動を報告し、「中高生として自分たちにできること」、「政府、行政に伝えたいこ
と」、「原発を考える」など、中高生自身が考えた6つのテーマに分かれて熱心にディスカッションをした“ 子ども未来人サミット”は大きな話題となりました。
今回はその続きとして、震災後1年間の活動報告を含めて被災地のまちの再生や日本の未来について語り合い、自分たちがこれから実際に行動するアクションプランを話し合います。
未来を担う彼らの声を、ぜひお聞きください。」
まず、仙台市ジュニアリーダーグルーブ「ずんだ」、南三陸町ジュニアリーダーグルーブ「ぶらんこ」、石巻市ジュニアリーダーグルーブ「げろっぱ」の紹介が行われた。
セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンより、地域における子どもの遊び場・居場所づくりのための 新「こどもひろば」や被災した子どもたちが地域の復興に向けたまちづくりを考える子どもまちづくりクラブの活動を紹介された。
“ジュニアリーダー”の第1期生である新田氏が“ジュニアリーダー”について説明と昨年の「子ども未来人サミット」の紹介を行った。
仙台市ジュニアリーダー「ずんだ」の活動の紹介が行われた。
仙台市は、被災した地区と被害の大きくなかった地区があり一様ではないが、ジュニアリーダーたちの拠点になっている施設が震災の影響で使えないなどの中、誰かの支えになれることを目指して活動を開始した。
県内沿岸部の仲間たちの力になるための活動を開始し、何が出来るか、どういう手伝いができるかを模索し、誰かの支えになれることを目指して活動した。
南三陸町ジュニアリーダー「ぶらんこ」の活動の紹介の活動の紹が行われた。
震災と津波の被害を受けた南三陸のジュニアリーダーたちも被災し、避難所や仮設住宅での暮らしを余儀なくされ、みんなバラバラとなりながらも連絡を取り合っていた。
そんな中、少しずつ活動を始め、NGOのこども支援活動に参加したり、こどものまちづくりワークシヨップに参加して意見を表明した。その後、他の地域のジュニアリーダーたち交流、協力して活動を始めた。
石巻市ジュニアリーダー「げろっぱ」の活動の紹介 の活動の紹が行われた。
大きな被害を受けながら石巻市ジュニアリーダーたちは、避難所などでの個人としての活動を行い、4月から「ジュニアと遊ぼう」などの避難所訪問を始め、定例会を開き、開催が絶望視されていたこどもまつり「げろっぱまつり」の開催を行った、
また、平行して策定していた「復興に向けての110の提案」を市長に提出した。その後、他の地域のジュニアリーダーたち交流、協力して活動を始めた。
ディスカション「震災後活動してきた若者たちが、今何を思い 未来をどう考えているか」では各地のジュニアリーダーが混ざってグループに別れ、論議した。
いろいろな声が聞こえた。
避難所での身勝手な大人の行動
同世代の若者が避難所でゲームばかりしている現実
誰のためにやっているのか分からない
もっと苦しんでいるこどもたちにジブンはできることをした? 足りなかった?
お金より気持ちが大事
でも、お金は必要
被災者が絆って言うのはともかく、他は嘘くさい絆
外からの「カンバレ」はいらない
あたしたちになにをもとめているの
ボクを、私たちをつかってほしい
未来へ疑問
将来への不安
でも、
それでも、
傷を負った、
いろいろなことを抱えながら
でも、
それでも、
私たちだからできることがある。
こどもとおとなの架け橋になって
グループ発表が行われ、大人たちの論議が行われた。
このときの様子を“ジュニアリーダー”の大先輩である新田氏がこう語っている。
「昨年9月に一回目が行われたときには「外から来るボランティアはいつか帰ってしまうが、これからの日本を背負い作るのは私たちだ」といった熱意ある意見がありました。そして今回、防災教育はあったものの復興教育は一切行って来なかった日本にあって、手探りながらも被災地で大活躍し未来を自らの手で創ろうとする彼らの言葉にはやはり力強さがありました。
前回のサミットで千葉大学の木下勇先生から「日本の未来は明るいと思うか?」という質問が中高生に対して出されました。今回は中高生から会場内の大人に対して同じ質問が返されました。
司会の高校生曰く「以外に多いんですね。」
震災後の状況、町の方々との出来事、今後の町のあり方など、ときに涙を流しながら、真剣に自分の意見と思いを伝え、人の声に耳を傾ける姿は前回以上に熱いものがありました。
大人への文句になってはいけない、と言葉を選びながら未来をより具体的に形作ろうとしています。
「仮設がなくなり追い出されたら私たちはどこへ住めばいいんですか?」という中高生からの質問に復興庁からおいでいただいた方に答えていただきました。
現実に向き合い、捉え、行動し、仲間と手を取り合いながら、町と未来を真剣に考えている彼らの眼差しはしっかりと未来の日本を捉えていたように思います。そして彼らはまだまだ続く復興への道を担うべく自分の町に帰って行きました。」
新田氏のブログ
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自分のポスターセッションのために中座したので引用させて頂きました。
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