ESDと復興 岩手
災害と学校教育
山田町セッション
11月24日、「ESDと復興 岩手 災害と学校教育」の山田町セッション(主催 ESD学校教育研究会、岩手大学教育学部梶原昌五 協賛 岩手大学社会学教室麦倉研究室)が行われた。
岩手県内の津波被災地で、被災した学校がどのような状態であったか、また、学校が今後教育すべきことは何かを一緒に考えます。
視点はESDです。将来の子どもたちに、どのような街に住んで、どのような生活をして欲しいのか。私たちの今を考えながら、未来のこの街を一緒に考えます。そこから、私 たちが目指すべき「持続可能な街に住むための教育」が導き出されると思います。(趣旨)
岩手県山田町の船越小学校の前の浜。
穏やかな海に、しっかりした防潮堤。
その防潮堤の向こうの高台に船越小学校があった。
震災のあったあの日、
とてつもなく大きな地震がきて、
船越小学校にいた児童は定められた手順に従ってこの校庭に出た。
地震が鎮まるまで、ここで待機のはずだった。
海を良く知っている校務員のひとが裏山に逃げなくてはといった。
校長もそれを支持して
この急な裏山を全員で必死で登った。
津波はしっかりした防潮堤をあっさり超えた。
さっきまでいた小学校の校庭は津波はのみ込まれた。
実際に登って驚くほどの急斜面を、
1年背から6年生までひとりのけがも無く駆け上がった。
頂上についたがそこは小さな空間しかない。
そこで励まし合いながら潮の引くのを待ちつづける。
何の情報もないまま、夕方まで待ち続けて
何回も下の様子を見に行って
学校よりはるかに高い位置の3軒の家のあるところまでもどった。
学校は海の下。
勇気のある若者が津波を顧みず、我が子と小学校を心配してかけつけた。
100名以上の児童と教職員、
そして、逃げてきた地域の人が
この3軒の家で一晩を過ごした。
次の日、若者の知らせを聞いた父兄をはじめとした人々がこどもたちを迎えにきた。
奇跡ではないが。奇跡的だ。
こどもたちの力が、ひとりひとりの力が何一つ、欠けていてもできなかっただろう。
その後、山田町の船越公民館で意見交換会を行った。
まず、同町の震災・津波被害と現況について説明があった。
漁師の方においで頂き、復興しない漁業について伺った。
まだ、漁港の整備がすすんでおらず、地元で水揚げができないこともあり再開が困難である。
また、船と漁業用具が流され、新たにどちらかが確保できても片方だけでは再開できず、政府の補助も新規漁業就業者を優先する政策のために補助の順番が回ってこない。
養殖についても、政府の支援の仕組みはグループ化による漁獲高を担保した先行貸し付けであって問題も多い。
そして、このように親に仕事が無いと、こどもにも希望も無く、元気が無い。