ESD(持続可能な開発のための教育)フォーラムII:地域と教育
学校におけるソーシャルワークを考える
2月24日、ESD(持続可能な開発のための教育)フォーラムII:地域と教育「学校におけるソーシャルワークを考える」(共催 ESD学校研究会・関係性の教育学会)が品川区環境情報活動センターで行われた。
「高校生の生活支援が大きな問題になっています。
生活保護世帯の高校生とその保護者だけでなく、親や本人の事情で学校に行きたくてもいけない生徒が増えています。
現在の制度では、教員の対応以外は、心の悩みはスクールカウンセラー、生活の悩みはスクールソーシャルワーカーが対応する。また、地域としては児相、児童委員が対応するという縦割りがあります。 こどもの貧困は国内でも大きな問題であり、高校生はケアがとどかない制度上の問題もあります。 持続可能な開発が途上国のこどもや教育の問題や先進国の環境問題だけではない以上、今の生徒の問題も考えたいと思います。
学校とは学力を身につける場所だけでなく、学校コミュニティとして社会性を育む場所でもあります。
現状を変えていく「ともに支えあう学校コミュニティのちから」について論議したいと思います。」趣旨より
まず、「ESDとは」としてESD学校研究会の長岡素彦がレクチャーを行った。
次に、メインスピーチとして神奈川県立高校教諭の渡辺岳氏(社会福祉士)が20年以上行ってきたボランティア体験学習と高校生の東日本大震災支援を語った。
高校生りの現状と学校での福祉教育実践について述べた。
学校における生徒への「ボランティア体験学習」の部分を実践してきた、最後の1年は、東北被災地(大槌町)での生徒のボランティア体験をコーディネイトした。学校のクラスで学ぶ以上に生徒には学びがあったと思う。
学校の問題として不登校の要因として、精神疾患・発達障害やコミュニケーション障害、人間関係、非行の問題校内暴力の問題がある。
また、問題が生じた時に子どもたちがどこに相談するのかというと、先生に相談にくるのは非常に少なく、保護者にも相談しない。
友達に相談するので、生徒たちの関係性が大切である。
このように学校コミュニティでのノーマライゼーションやコミュニケーション教育をすることが必要で、生徒への福祉教育が必要となって、福祉ボランティア体験学習が必要である。
また、地域・社会の問題として児童相談所などこどもを支援する機関が機能していないと考える。
教員として、去年2つのケースに遭遇したが、その経験の中から高校生に関しては児童相談所という制度の限界が見えた。
児童相談所だけでなく、要保護児童対策地域協議会が各地域に設置されることになっているが、あまり機能していない。
改善提案として一時保護所の運営を児童相談所の専任事項ではなく、NPOに運営委託するという発想が必要ではないか。(例えば、岩手県の大槌臨学舎(コラボ・スクール))
「ここでの福祉教育は、社会的弱者保護ということだけでなく、自分ひとり一人が福祉の対象となるという意味で、ユニバーサルな福祉教育が重要となる。日本では、これが決定的に欠けている。・福祉教育を充実させれば、最終的には、生徒自身がソーシャルワークできるようになる。インテイクの部分は生徒自身がして、教員は生徒から困難を抱えた生徒の状況を聞くことができるようになる。・生徒同士で問題解決をしていく可能性もある。
学校教員とスクールカウンセラー・スクールソーシャルワーカーの関係では、学校教員が、生徒の問題を専門職(スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカー)に丸投げしてしまう傾向が出てきていることが課題である。「健全な学校をつくるためには、ソーシャルワークを学校の導入することが必要だが、それだけではダメで、福祉教育とセットにすることが必要。この両者がうまく機能することで、学校はエンパワーメントされる。」*
引き続き、全員でワークショップが行われた。
ここでは、高校生、大学生、若者と教員や教育をすすめる人との論議が本音に近いできた。
ESDとしての福祉教育はどうなのか、キャリア教育、シティズンシップ教育の実態はどうなのか。 学校でのケアとしてのエンカウンターグループやピアサポートは高校での実践はどうなのか、高校へのスクールソーシャルワーカーの現状は。
主に、若者から
勉強だけじゃなくて、生活問題も教育なんじゃない でも、勉強や教科学習はどうするの 教育の中に、生き方的なことがないのは問題、でも生き方は教えられない部分もある ESDとか包括的な福祉教育、生き方について学習は勉強や教科学習を以外に、やる価値はあるかも、でもどういうバランス? ボランティア体験学習は生き方を問い直すものだけど、それをやるのは意識の高い子 気仙沼、被災地の命を中心にしたESDの視点の防災教育 学校は、理性(価値観)を教えるべきなの 自殺をしたいという生徒に対し、自己決定原則だけではなく、パターナリズムも必要ではないのか。
ESD(持続可能な開発のための教育)が身近な問題も世界・地球の問題も学びあって問題解決して行くものなら、学校でも教科学習だけでなく、生活・生き方の問題や児童生徒が直面している問題を別にしていく訳にはいかない。
そして、その教育・ESDの場は、教師、大人と学生、児童生徒が、今回のように問題や学びのあり方を対等に論議して、学びや問題解決のあり方を決めていく必要があると思う。もちろん、今回、企画・進行において足りないことが多かったが、このことは成果だと考える。
「ともに支えあう学校コミュニティのちから」は、前回のESDフォーラムIのように「学校と地域がともに支えあう」ことと、今回のESDフォーラムIIの「学校コミュニティの中でともに支えあう」の両方が必要だと思う。
*参加者の方のプログより 写真も
http://media-art.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-5175.html
PS かつて、林竹二さんから聞いた「対話」の意味の大きさを今頃になって分かりました。