忘れない 震災から2年<3>双葉町民と共に歩む 支援者上尾の鈴木、末吉さん
「顔見に来たよ」「何か変わりはない?」-。東京電力福島第一原発事故で、福島県双葉町が役場機能ごと避難している加須市の旧騎西高校。「被災者支援ボランティア福祉班」として活動する鈴木玲子さん(56)と末吉一美さん(46)=ともに上尾市=が七日、生徒ホールに姿を見せると、町民たちの顔がパッと明るくなった。
福祉班としての活動は二〇一一年三月、約千二百人の双葉町民が避難してきたさいたまスーパーアリーナ(さいたま市中央区)で始まった。NPO法人「彩の子ネットワーク」で子育て支援に携わってきた二人は、母子や高齢者に「足りないものは」「何か困ったことは」と聞いて回り、関連の支援団体につなげた。双葉町民の避難先が旧騎西高校に移った後も、町民の声に耳を傾けようと、福祉班は同校に通い続けた。 心身共に疲れ果てていた町民たちから、本音を引き出すことは難しかった。鈴木さんが初めて声をかけた女性は、涙を浮かべて逃げてしまった。町民が寝泊まりをしている教室のドアを開けると、「放っておいてほしい」という空気が伝わってきた。それでも鈴木さんたちは「感情をぶつけられてもいい。心を許せる相手が必要なんだ」と言い聞かせ、声をかけ続けた。 「震災前は当たり前だったことができなくなり、つらいんだ」。耳を傾けるうち、町民から同じような声が聞こえてきた。「みんなの『やりたい』という気持ちを支えよう」。震災から約二カ月後、日常を取り戻す活動が始まった。 毎年、特製の梅干しを漬け、近所に配っていたという男性には「作り方を教えて」と提案し、一緒に梅を漬けた。大好評となり、男性に笑顔が戻った。縫製工場で働き、「ミシンから離れたことがない」という女性は、ミシン教室の講師として活動するうち、生きがいを見いだすように。編み物や絵手紙、習字など、町民の作品を集めた展示会も二年続けて開いた。準備から片付けまで、福祉班と町民が一緒に成し遂げた。 震災から二年、避難直後のような応急的な支援はなくなり、避難先での新たな日常ができつつある。福祉班のメンバーが旧騎西高校を訪れる回数も、今では月一、二回ほどに減った。 末吉さんは昨年五月から、さいたま市内の病院で看護助手として働き始めた。顔見知りの町民からは「このごろ来ないね」と寂しがられる。そのたびに「ボランティアって何だろう」と考える。一年目はできることをやろうと走り続けた。最近になって、活動を続ける理由がわかってきた。 「私は何かできるわけじゃないし、その人に代わってあげることもできない。高校に来て一緒にいるだけ。支援をしようというのではないんです。同じ時間を一緒に生きたい。それを双葉の人たちがうれしいと思ってくれたらうれしい。それだけなんです」 福祉班の活動はいつまで続くのか。「旧騎西高校が避難所じゃなくなるまで来ます。一緒に梅干しを漬けたり、ばか話をしたりしたいんです」。鈴木さんも末吉さんもそう言ってほほ笑んだ。(増田紗苗)