臼澤伝承館
大槌町で住民がつくった館
臼澤鹿子踊保存会伝承館に伺い、避難所だった頃、その後の話をお聞きした。
また、鹿子踊の成り立ちや、その地域での意味、そして津波で破壊された地域を郷土芸能によって再建する「三陸海の盆」などを伺った。
最後に、臼沢に限らず、多世代協働のコミュニティを目指すとのこと。
この臼澤鹿子踊保存会伝承館には126 名が避難していたが,この施設にはもともとそれだけの人数を受け入れるだけのスペースがあったし,祭りの日に集まる舞い手や家族のためにかなりの数の食器や炊事道具がそろっていた。それで,最初の日から避難者にはおにぎりではなく,白いご飯とみそ汁と副食を椀や皿に入れて出すことができたのだった。
(鹿子踊の組織があったことが大きかったのかとたずねると),それはたしかにね。自分らも,現役の時は100 人とか200 人の中での生活っていうか,そういうものの体験はあったし。女性軍も,祭りの時は100 人の人がわっと集まって,ご飯食べさした,何したっていう体験もあって。それが一番,後からの考えですけれども,訓練になっていた。だからスムーズに行ったんじゃないかな。分担して,ご飯とかそういうのは女性軍の専権事項にして,われわれ口出さなかったんです。女性軍もやっぱり任されてるから,いちいち指示を待たないで自主的に動いてくれたし。
津波の破壊に対抗する被災コミュニティー―大槌町の避難所に見る地域原理と他者との関係性―
竹沢尚一郎氏