東北から、100年後の日本を考える
防潮堤を再考するシンポジウム
6月23日、東京大学駒場キャンパスで「東北から、100年後の日本を考える:防潮堤を再考するシンポジウム」(主催「東北から日本の未来を考える会」共催 特定非営利活動法人「人間の安全保障」フォーラム、防潮堤を勉強する会)が開催された。
「甚大地震と大津波は、多くの犠牲者を出しました。ふるさとの暮らしの再建のために、多くの方々が、身を粉にして仕事をしています。とりわけ、同じ土地に暮らし、同じように被災した各地域の自治体の職員の方々の仕事に支えられて、わたしたちは立ち上がろうとしています。(中略)
100年後、200年後の津波や地震にも対応できる持続可能なまち、もしかすると1000年後を見通したまちづくり。「防潮堤」が有効な場所もあるでしょう。景観重視=自然重視で観光をすすめるまちづくりをしたほうがいい場所もあれば、漁業に向いた海岸づくりをするのがいい漁港もあるでしょう。国立公園の連なりを、グリーンベルトにするという考え方もあります。
被災3県のみならず、今後、日本列島全域の災害対応の課題とされている巨大防潮堤について議論します。ぜひご参加ください。」 (趣旨 全文は文末に掲載)
特定非営利活動法人「人間の安全保障」フォーラムの丸山真人氏 (東京大学大学院総合文化研究科教授)は、この問題は日本全体問題であるが、何がどこで、どのようなことが行われているか、知らないひとも多い、現地でもよくわかっていないと述べた。
「東北から日本の未来を考える会」の共同代表の山内明美氏( 大正大学特命准教授)が趣旨説明を行った。
現在の防災対策は多重防御と減災で進められており、レベル1 、レベル2に対応する方式も住民の理解が得られず、住民主体の復興ではない。
また、奥尻島防災復興での生業衰退の教訓が生かされないまま進められているが、「命も守る 生業も守る 多様性も景観も保全する わたしたちのまちづくり」が必要と述べた。
まず、気仙沼市大谷地区の三浦友之氏から気仙沼市大谷地区の報告があった。
住民として防潮堤に反対するのではなく「防潮堤を勉強する会」を立ち上げ、防潮堤を勉強する会でも学習、検討して、要望書を出した。
また、大谷地区のすべての振興会(自治会)で復興計画でつくり、そして、連合会で内容をすりあわせし、市に提出した。
しかし、それらと関係なく計画は進んで行くのは問題である。
同氏がまちでは、「何がどうなってるか、防潮堤もイメージできない」という声も多く、工事現場のおじさんから「こんなのつくっていいのかな?」、若いおにいちゃんから「住民説明会行けばよかった」などの言葉も聞かれるという。
次に、大槌町長の碇川豊氏より町の復興計画、緑の防潮堤の報告があった。
大槌町長から大槌町の震災、復興について報告の後、国の計画によると大槌の町方の堤防計画高は14.5mであり、これでは、「ビル五階の高さに囲まれては、牢獄の中に暮らすようだ」と言う。
大槌の町の人の目から海みえる美しい町を合い言葉に、復興計画、緑の防潮堤を計画している。
しかし、復興の課題としては「法律の壁であり、法律は、誰のためにあるのか?」と思うと述べた。
丸山氏は、このことは人の課題、人間の安全保障の問題であり、防潮堤をつくることが経済に寄与するという成長戦略は震災以前の開発計画であると言う。
慶應義塾大学教授の小熊英二氏は、日本では意思決定は住民を信用しない上意下達であり、公共事業は上から自治体に金がふってくるシステムである。
防災事業、高台移転、防潮堤公共事業を仮に昔の道普請、茅葺きのような住民事業として行い、住民の自己決定で起業も含めて行うという考えもあると述べた。
東北から日本の未来を考える会の共同代表の高橋博之氏(元岩手県議)は、自分の命を行政やハードにたよりすぎ、私たちが自分で安全では考えないのも問題で「震災前」が問われているという。
「震災前」からの政治参加、地域参加がなく、選択肢がない状態を選択肢をつくる必要があると述べた。
また、岩手の話でいえば、多くの社会資本の耐用年数が切れている上に、県、住民負担で防潮堤や防災ハードを維持できないことを誰も指摘していいない。
この解決のためには社会的起業などで新しい生業をつくることが必要で、このことも含めて「東北開墾」というプロジェクトを始めた。
会場からは、防潮堤で安全か、海域と陸域を「沿岸域」ととらえて総合的に管理する先例として志摩市の「里海創生基本計画」、防潮堤の経済的合理性が長期的、短期的にも疑問があること、防災・減災・免災と合意のあり方などの意見が出された。
「多重防御」という津波対策は、レベル1の大津波に対しては従来規模の防潮堤工事を行い、それを超えるレベル2の巨大津波に対して高台移転、嵩上げを行うものだが、参加者からも技術的疑問が投げかけられていた。
東北から、100年後の日本を考える:防潮堤を再考するシンポジウム(趣旨)
甚大地震と大津波は、多くの犠牲者を出しました。ふるさとの暮らしの再建のために、多くの方々が、身を粉にして仕事をしています。とりわけ、同じ土地に暮
らし、同じように被災した各地域の自治体の職員の方々の仕事に支えられて、わたしたちは立ち上がろうとしています。2011年3月11日以後、被災地で暮してきたわたしたちは、もうひとつの社会へむけて歩み出す必要性を感じています。この災害は、途方もない破壊と分断
を生み出しています。ひとの生命や財産を守るということがどういうことなのか、根底から問われているように思います。三陸沿岸の人々の暮らしが海からの恵
みと脅威の狭間で成立してきたことを、今一度考えたいと思います。一方、「命を守る」という責任を行政が負わなければならないという、重圧の中から、巨大防潮堤の発想も出て来ざるを得ませんでした。国民の「命を守る」という大きな責務を、行政だけに負わせるのではなく、地域の誰もが分散して分かち合わなければなりません。各自治体による当初の復興計画では、災害後2年目には、災害復旧事業全体の約6割程度は着手する見込みでした。しかし、今年4月の時点でまだ3割程度であ
ることが報道されました。人材不足や資材高騰のほか、ボトルネックのひとつにあげられるのが、三陸沿岸部全長400キロメートルに及ぶ巨大防潮堤の建設計 画です。巨大防潮堤については、沿岸部に住まう漁師たちからの異論の声も少なくありません。その湾の地形によっては建設の必要な場所もあるでしょう。しかし、これ
ほど巨大なコンクリートの建造物の連なりを、国立公園や国定公園の広がるリアス式海岸につくることへの抵抗は根強いものがあります。津波被害を想定した巨 大防潮堤計画は、三陸沿岸のみならず、今後日本列島の広範囲に及んで取り付けられる見込みです。100年後、200年後の津波や地震にも対応できる持続可能なまち、もしかすると1000年後を見通したまちづくり。「防潮堤」が有効な場所もあるでしょ
う。景観重視=自然重視で観光をすすめるまちづくりをしたほうがいい場所もあれば、漁業に向いた海岸づくりをするのがいい漁港もあるでしょう。国立公園の 連なりを、グリーンベルトにするという考え方もあります。被災3県のみならず、今後、日本列島全域の災害対応の課題とされている巨大防潮堤について議論します。ぜひご参加ください。